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グランパスに入団した米山が、スピラールの大怪我で交代したらしいですが、好評価を得たようです。まずはめでたい。フロンターレ時代ではおそらくチーム戦術にあわないだろう、と思っていましたが、今回はフィードと組み立ての能力がうまくフィットしたようです。 そういう話を聞くと、いまさらながらに様変わりしたヴェルディを思ってしまいます。チームが完全に変貌してしまうのは何も今回に始まったことではありませんが、それでも過去に在籍した選手、出て行った選手のことをふと考えてしまうときもあるわけです。 入団するとき、出て行くときには選手個人の事情、クラブの手腕、不手際、環境、いろいろあるとは思います。それを個々人に当てはめて想像してしまったり。不健康ですが。 2007シーズンのヴェルディの選手獲得は強奪と呼んで差し支えない、と私は思います。ただ、これは否定的な、あるいは非難を含んだ表現ではなく、「今年のフロントはなりふり構ってない、本気だな」という高い評価をしているのです。 もちろん、愛着のある選手を他チームから引き抜いているんですから、そのサポーターから非難を受ければ忸怩たるものがあるんですが、結局、応援するから勘弁してください、としか言えない訳で。 我々はチームやクラブに対して特別な感情を抱いているので、特に降格したときに出て行った選手に対して否定的な眼で見てしまうのは仕方ありません。ただ、あまり積極的に否定するのはどうかな、と思います。 選手にとってチームやクラブは職場であるわけで、サポーターは顧客の一部でもあります。程度の差こそあれ、給料をもらう以上「いいクラブだ、いいサポーターだ、ずっといたい」的な発言はすると思います、ファンサービスの一環として。 その選手が出て行ってしまったとき、裏切られた感覚があるのは当然だとは思います。特にクラブが苦境にあるときはそのマイナス感情が増幅されてしまうものです。しかし、彼らがヴェルディのためにいいプレーを見せていたとき、我々は熱狂し、一体感を持っていたことも事実なのです。それを歴史年表から削除するようなことがいいことなんでしょうか。 感情的には同調できるんですが、どうもその根底には生え抜き・長期在籍者絶対論があるような気がして戸惑うことがあります。北澤のように、入団してから引退までヴェルディに在籍できるなどということはほとんどありません。 逆に言うと、ほとんど全ての選手は今一時我々の愛する選手であって、明日はどうであるか分からないんだ、ということだと思います。だからと言って彼らがクラブの歴史に足跡を残していないわけではなく、我々が共有した時間が消滅するわけでもありません。 どんな形であれクラブを出て行った人間に対して否定的な言動をとることは、自分たちの歴史の否定でもあるのではないかと。もちろん、非難に値する形で離脱した選手もいます。しかし彼らにとってもそれは人生の選択であり、自由に決めていいことだと思います。我々には彼らの生活を保証してやることなどできないのですから。むしろ、そんな状況でもクラブに、サポーターに愛着を持って残ってくれる選手、来てくれる選手に感謝すべきであって、出て行った選手を非難するような手間暇なんぞかけてる場合か、と。 非難に値する選手であれ、このシーズン我々のサポートする選手であれ、サッカー選手である以上その人生の表現はピッチであるべきです。同じスタジアムで時間を共有するとき、前者にはブーイングを、後者には惜しみなき応援を、それだけでいいのではないかと。 そういった愛憎、光と影がクラブの歴史になっていくんではないかと。 ああ、とりとめもない。みんな、悔いのないようにサッカー人生を生きてください。 |
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